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鷲雁は雑記

クックドゥードゥーと鳴いたら花丸な日々。

華と空間のお話

鷲雁の昔からのツレはみんな言葉で遊べるやつらである。
話していて面白い。
語彙力とはまた違う。
あそこまで行くともう感性。会話にひたすら長けているすごいやつらだ。

そう会話。
鷲雁がSSを書くときに重きをおいているのが会話だ。
もちろんそれ以外が重要でないかと言われればもちろんそんな事はない。そこもちゃんと意識はしている。たぶん。

じゃあいったい会話ってなんなのよさ。

鷲雁が思うに、会話とは物語や日常の「華」なのではないかと。
華は必ず存在しないといけない、と言うものではない。
見ているだけで清々しくなるような大草原に一輪二輪の華を求めるものなどいない。
しかし誰もいないような裏路地にぽつんと華が咲いていたら、そこになぜか目がいってしまう。
華とは在るものではなく、添えるもの。
物理的に添えられるのではなく、見る者が一つの空間として添えられていると認識するかどうかである。
添える、添えられるものだからこそ、華のみで空間を彩るとやけに派手派手しくなって、空間によっては不似合いになってくる。
しかしそれは大草原であろうと裏路地であろうと同じ事。
空間を意味の在るものにしようと思ったら、その空間自体を考えなければいけないのだ。

そして華から空間へ。

華を過剰添えするべき空間ならば、その空間は華を添えまくってこそ美しい。添えられるべき華が主役になるという型破り。
しかしそれは間違いなのではなく正解なのだ。
もちろんそれが自分以外に受け入れられるかどうかといえば、各々の美的センスの差によってまた別の話になってくる。
本当の間違いとは、田んぼのど真ん中に向日葵植えたり、山から草一本残さず丸裸にしたりするような事なのだ。
そこに新しい活路を見出せるならまた正解に転じる事はできる。
が、それは発見であって、もはや田んぼでもなければ向日葵畑でもないまったく新しいものに変わっている。

結局のところ、空間の作り手が何を目的として、どんな手段(華だけに限らない)を用いて空間を作っていくかを明確にビジョンとして見ていないと、望む空間はできないということである。


空間に添える華。
例えば今はあなたの部屋。
目の前には植木鉢。
さぁ、あなたはどんな華を添えますか?


鷲雁の部屋だとナスビとかいいんじゃないかなー。食えるし。
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  1. 2005/04/24(日) 17:42:35|
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  3. トラックバック:0|
  4. コメント:1
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コメント

ことのはだいすき。
  1. 2005/04/24(日) 23:36:36 |
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  3. み(ry。 #-
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